意識が朦朧とする。 周囲がぐるぐると渦巻き、極彩色のマーブル模様を見ているようだ。 耳から流れ込む音は、不協和音のように頭を悩ませる。 出来ることならこのまま…… 「っ!?」 額への強烈な痛みと共に意識が覚醒する。 極彩色の風景は退屈な授業風景へ、不協和音は教師の淡々とした声に収束する。 「ノート、大変なことになってるぞ、タカシ」 隣から平坦な声が聞こえ、俺は今まで舟を漕ぎながら書いたノートを見た。 「ん? ああっ!」 数式が途中からアラビア語みたいになり やがて直線 最後には今まで苦労して書いた部分を突っ切ってノートというリングから場外へ伸びていた。 「何で言わなかったんだよぉ、舞ってばぁ」 隣にいる幼馴染の舞に抗議する。 「起こしてやっただけ有り難いと思え、私はそんなに暇じゃないんだ」 「それは未来の夫へ失礼というものぉ゙!?」 シャーペンで脇腹を刺される、手加減無で。 多分額にも赤い点が大仏様のように存在していることだろう。 「痛いじゃないか、目覚めたら責任取ってくれよ」 「その話題は触れるな、そして私は責任は取らん」 おいおい俺をこんなにしておいてそりゃないだろう(ヤマジュン調)。 ちなみに未来の夫云々はガキの時分しょーもない約束を俺が未だにひっぱってるわけで。 ”俺がカッコイイ男になったら嫁に貰う” 荷物持ちから昼食のパシリまでこなすカッコイイ男演じてるはずなんだけどね… 「ところでタカシ、ノートどうする?」 「いや、黒板から写しなお…」 丁度書き直すところが消えていく、大人なんて大ッ嫌いだ、特に教師。 「仕方ない、私のを見せてやろう」 そんでもって時々見せてくれる優しさが舞のいいところ。 「静、舞見なかった?」 「さっさと帰っちゃったけど?」 放課後、舞と俺の共通の友達である静からこんなことを言われた。 「えー荷物持ち置いて帰っちゃったのかよー」 前々から余所余所しい舞は最近になって拍車が掛かってきた感じだ。 「タカシ、あんたまだそんな事やってんのね…」 静が頭を抑えて眉間にしわを寄せる。 「いい加減諦めなさいよ、しつこいと嫌われるわよ」 「やっぱそうかなぁ…じゃあ静、一緒に帰ろうぜ、荷物持ってやるよ」 静は美術部に所属している、今日は画材を色々と持ち帰るのか荷物は多めだ。 「噂になると嫌だし…」 「藤崎!?」 「あはは、ジョーダンよ、じゃあ、これとこれと…」 頼むから冗談で俺のトラウマを刺激しないでくれ。 そして渡されたのは重そうな画材鞄とキャンバスと色々… 「お、おい、これ、重…」 「落としたらバリカンで逆モヒカンの刑ね」 静は時々笑顔が笑顔に見えない。 「おーすごいすごい、ちゃんと落とさずに持ってこれたんだ」 「はぁ…はぁ…万年パシリを舐めんなよ…」 学校から静の家まで実に1km、休憩無でいけたのは日々の賜物だな。 「じゃ、これはご褒美」 緑色の飴玉を渡された、静の好物のメロンソーダだろう。 甘い物が比較的好きな俺は何の疑いもなく飴玉を口に入れ… 「ブッ!?」 あまりの辛さに吐き出した。 「てめえ、ワサビかよ…」 「あははは! そんなに世の中甘くないんだよタカシ君」 ワサビだけに…ってか。 「ただいまー」 玄関のドアを元気よく開けて言ってみるが返答はない。 「ま、親父がこの時間に家にいたらそれはそれで問題だがな」 誰に言うわけでもなく独白する、父子家庭の俺としてはもう慣れている挨拶だ。 どうせ家に誰もいないし、男同士、親子同士だしめんどくさいので 制服を玄関においてあるハンガーに掛け、シャツとパンツまで脱いで洗面所へ向かう。 最近の暑さは正直異常、トランクスを一枚穿いて台所の冷蔵庫を目指す。 「ふふふふふんーふふふふふー♪」 適当に鼻歌を歌いながら台所に入ると 「……」 エプロン姿の女の子と鉢合わせた。 「あ……」 エプロンドレスの女の子、ノックアウト、つまり失神。 「ん……」 「あ、気がついた」 ソファに放置…じゃなくて寝かせた女の子が目を覚ます。 俺は女の子が失神している間親父が今日新しい嫁一家が来るとか言ってたのを思い出していた。 ていうか忘れてた俺ってどうなの? 「…変態」 「ぐっ…」 言い返せない、というか傍から見たら俺は確実にその通りの存在なわけで… 「優」 「は?」 ユウ? 誰? 「…私の名前、多分変態の妹」 自分で言ってて恥ずかしくないか? 変態の妹って。 「俺の名前は…」 「変態で十分」 そんなわけで、これから俺の生活は少しだけ変化することになった。 カッカッとチョークが黒板を走る音をぼんやり聞き流す。 ノートには分かっているのかどうか怪しい英文がひしめく。 「似てるなぁ…微妙に」 そんな中、俺は英文の文型を考える振りをしながら別のことを考えていた。 「授業中に別のことを考えるな阿呆」 「うーん、舞とは心まで繋がっていたのか、嬉しいぞ俺はぁ゙!?」 肋骨の隙間にボールペンがクリーンヒット。 「繋がってはいないし、繋がっていたとしても私は嬉しくない」 「酷い! 俺をこんな身体に…悪かった、コンパスは洒落にならん」 コンパスを逆手に構えた舞をなだめる。 まあ無数にある舞のペン攻撃の痕を見せれば意見は変わるんだろうが。 「で、授業ほったらかしで何を考えていたんだ?」 「俺のことが気になり始めたのか? …ごめん、真面目に答える」 とりあえずコンパスをペンケースの中に仕舞わせる。 「実はな、舞のことを…待て、これはマジだから待て! 話聞け!」 カッターナイフは危ないってば… 「いやね、舞と優ってなんとなく似てるよなー、ってな」 流石にこれ以上茶化すと本気で生命の危機を感じるので真面目に答えた。 「優?」 舞は怪訝そうな顔をする、そういえば俺は舞に優の事を言っていなかった。 「えーと、つまりだな…というわけだ」 俺は優のことを説明した。 「そうか、お前の父親もようやく再婚か」 「まーね、ただいまの相手が親父か金魚だった時よりは間違いなく良いな」 ちなみに親父にただいまと言ってしまった時はバイト情報誌探しに行く覚悟をする。 「……」 「ん? 嫉妬しちゃってる?」 そういった俺に舞は一瞬ボールペンを向けるが 「馬鹿が」 とだけ言ってノートに英文を写し始めた。 「舞大佐! 昼飯の買出しに行ってくるであります!」 舞の前で敬礼、俺の日課のような物だ。 「ヤキソバパンとタマゴサンド、飲み物は烏龍茶」 「了解! タカシ准尉、行きます!」 回れ右、駆け足用意。 「准尉ー、俺カツサンド」 「俺メロンパン」 「オレジャムパン」 「竹やり部隊は黙ってろ!」 こんな冗談も日々の日課、苛めはありません。 気を取り直して俺は廊下に出る。 「兄、パシリ?」 突然そんな事を言われる、パシリじゃない、使い走りだ。 「優? 何やってんだ? 階段一個余計に上がったか?」 「兄じゃあるまいし……これ」 弁当箱くらいの大きさに唐草模様の包み、どう見ても弁当だな。 「今日から…作ったから……」 なんという家庭的な妹なんでしょ、俺ちょっと泣きそうだよ。 「あ、どうも…」 俺は優の手製弁当に手を伸ばす、するとその分だけ優が後ろに下がる。 「一緒に……食べたい」 これは俗に言うブラコン? 二三日でブラコンにする俺の魅力に嫉妬を禁じえないぜ。 …まあ、自分の事に嫉妬してどうなるかは知らないが。 しかし残念な事に義妹とにゃんにゃんしている暇はないのだ。 「いや、済まないが」 断ろうと口を開いた時、優は耳元で呟く。 「…あること無いこと……言うよ?」 初対面の一件がある上、俺か優かどっちを信じるかってこのクラスの男子は優を信じるわけで… 「すまん舞! 買出しはお休みだ!」 俺の行動は既に選択肢は存在しないのだった。